実は、我が家の木の剪定を趣味、と言うかライフワークの一つとしております。
ちなみに、この木は高さ5m程度で、剪定に1時間強の時間がかりました。
我が家は長男の私で七代目となります江戸時代の末から続く家で、同じ地区には現在の当主で十代目となる本家があります。
(ちなみに、同じ地区に本家、分家が3つ、その分家の分家が2つ、無関係の同じ苗字を持つ家が1つあったりして、地区内で電話になると下(市街地から見て)の○○、本家の○○、新家の○○、新宅の○○、とそりゃもう大変ですw)
その跡継ぎである私が引き継ぐ物に、家や土地と言った物と一緒にこれらの木々があります。
金も無いくせにこうして土地と木ばかりは多いので、困り果てている次第です。
しかし、これらの木々を守る、と言うのは言い換えれば我が家の歴史を守る、と言う事になります。
家は古くなれば建て替えますが、木と言うのは朽ちない限りずっとそこにあり続けます。
そして、庭の木々と言うのはそのままその家の状態を表すことが出来ます。
隅々まで手入れが行き届いた木々を持つ庭と伸ばし放題の木々を持つ庭ではその家に与えるイメージと言うのはまったく異なります。
何故なら、人の手の入った木が一度その手を離れた後、もう一度手を入れても同じようにはならないからなのです。
特に「棚」を持つ木や、写真のように丸い木は顕著で、これらを放って置くと木と言うのは伸び方がまちまちですから、その形は崩れ、中の葉は落ちてその枝は朽ち、元の様に切ったならば無残な禿山となるのが目に見えています。
これが、木によっては僅かに数年で起こるのです。
それらを元に戻すのは無理か、出来たとしても長い年月を必要とします。
それ故、手入れの行き届いていない木々と言うのは実に不幸であり、そのような家の庭と言うのは見た目も醜悪で清潔感からは程遠く、自分の家の庭の手入れも出来ないのか、と見られてしまうのです。
逆に手入れの行き届いている木々と言うものは適度に庭に陽を通し庭に清潔感を与えるとともに、見る人にも好印象を与えるものなのです。
そして、写真の私が剪定した木は私の亡くなった祖父の代からあるもので、この形に刈り揃えるのには以前刈った時の刈り跡を見ながらやるのですが、その刈り跡のラインを創ったのは私の祖父であり、私はそれを守って剪定をしているに過ぎません。
木を剪定する事は我が家の歴史を守る事、と言ったのはこれが理由です。
我が家には祖父や私が生まれる前に亡くなった曽祖父、更にその前の代から受け継がれいている木々が数十本あり、それら全てにこの歴史の跡があります。
私は素人で剪定の仕方も至らぬ部分がありますし、ひざも怪我で爆弾を抱えているような状況ですから、剪定自体も高い木となれば危険も伴う作業ですし専門の方にお任せするのが一番だとは思っていますが、出来る内は何とか家族でやっていきたいと思っているのです。
ちょっと、まじめな話でした。
ちなみに、この木は高さ5m程度で、剪定に1時間強の時間がかりました。
我が家は長男の私で七代目となります江戸時代の末から続く家で、同じ地区には現在の当主で十代目となる本家があります。
(ちなみに、同じ地区に本家、分家が3つ、その分家の分家が2つ、無関係の同じ苗字を持つ家が1つあったりして、地区内で電話になると下(市街地から見て)の○○、本家の○○、新家の○○、新宅の○○、とそりゃもう大変ですw)
その跡継ぎである私が引き継ぐ物に、家や土地と言った物と一緒にこれらの木々があります。
金も無いくせにこうして土地と木ばかりは多いので、困り果てている次第です。
しかし、これらの木々を守る、と言うのは言い換えれば我が家の歴史を守る、と言う事になります。
家は古くなれば建て替えますが、木と言うのは朽ちない限りずっとそこにあり続けます。
そして、庭の木々と言うのはそのままその家の状態を表すことが出来ます。
隅々まで手入れが行き届いた木々を持つ庭と伸ばし放題の木々を持つ庭ではその家に与えるイメージと言うのはまったく異なります。
何故なら、人の手の入った木が一度その手を離れた後、もう一度手を入れても同じようにはならないからなのです。
特に「棚」を持つ木や、写真のように丸い木は顕著で、これらを放って置くと木と言うのは伸び方がまちまちですから、その形は崩れ、中の葉は落ちてその枝は朽ち、元の様に切ったならば無残な禿山となるのが目に見えています。
これが、木によっては僅かに数年で起こるのです。
それらを元に戻すのは無理か、出来たとしても長い年月を必要とします。
それ故、手入れの行き届いていない木々と言うのは実に不幸であり、そのような家の庭と言うのは見た目も醜悪で清潔感からは程遠く、自分の家の庭の手入れも出来ないのか、と見られてしまうのです。
逆に手入れの行き届いている木々と言うものは適度に庭に陽を通し庭に清潔感を与えるとともに、見る人にも好印象を与えるものなのです。
そして、写真の私が剪定した木は私の亡くなった祖父の代からあるもので、この形に刈り揃えるのには以前刈った時の刈り跡を見ながらやるのですが、その刈り跡のラインを創ったのは私の祖父であり、私はそれを守って剪定をしているに過ぎません。
木を剪定する事は我が家の歴史を守る事、と言ったのはこれが理由です。
我が家には祖父や私が生まれる前に亡くなった曽祖父、更にその前の代から受け継がれいている木々が数十本あり、それら全てにこの歴史の跡があります。
私は素人で剪定の仕方も至らぬ部分がありますし、ひざも怪我で爆弾を抱えているような状況ですから、剪定自体も高い木となれば危険も伴う作業ですし専門の方にお任せするのが一番だとは思っていますが、出来る内は何とか家族でやっていきたいと思っているのです。
ちょっと、まじめな話でした。
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